歯科衛生士の婿

歯科衛生士話は少なめ。主にクルマと仕事のこと。

イジメやブラック企業から逃げる、という言い方はやめるべき

イジメやブラック企業で鬱に、という話題が出ると、必ず「逃げろ」という話が出る。

 

僕はこの意見には賛成だ。
いじめっ子に付き合う必要も、仕事のために人生を無駄にする事はない。
方向性としては賛成。

しかし、「逃げる」という言い方はどうにかならないものか。

いじめられっ子なんて何も悪くないはずだ。
なのになぜ逃げなければならないのか。

逃げるという言葉は、やはりマイナスイメージが強い。
何も悪くないのに逃げた、となるとその子は「自分が弱いから逃げた」と自己否定の原因にならないだろうか。

実は自分がそうだった。
僕は小学校高学年と中学の一時期、イジメにあっていた。
中学で一時期しかいじめられなかったのは、姉がかなりの美人で姉のファンが3年生にいたから。
僕自身が3年生になると、体も大きくなってイジメはなくなった。
イジメの内容は田舎のクソガキが思いつくことだ。仲間はずれ、机に花瓶、持ち物を隠す、壊す、変なあだ名。
直接的な暴力も幾つかあった。

最初はくだらない、と無視していたが、長く続くとさすがに堪えてきたので、僕は学校を休みがちになり、大体週に1,2回は不登校だった。学校に行っても喋らず、衆人環視の届かないところにはいかないようにしていた。

要は逃げたわけ。

幸いにして高校はそれなりの進学校に入ったので、そういった類の連中はおらず、穏やかな3年間を過ごすことができた。

しかし、今になっても「逃げた」という事が心のどこかに引っかかったまま。
今になって思えばあいつらを殴りかかるとか反撃する方法はあっただろうに、何もせずに逃げた自分が情けない。

こんな風に自分を「逃げた人間」として卑下してしまう人もいるだろう。
そうすると、「自分はダメだ」「自分は負けた人間」として自信を無くしてチャレンジできない人になってしまわないか。

だから、僕はイジメから逃げる、のではなく、くだらない人間がいない道を「選ぶ」という言い方をしたい。
くだらない人間やブラック企業なんかと付き合わない、好きな道、安心できる道を「選ぶ」。

言い方変えただけだからやってることは同じなんだけど、何か逃げるよりはマシなニュアンスじゃないだろうか。


いじめにあっている人、ブラックな職場で悩んでいる人、自分の好きな道、やりたい事に近い道を「選んで」みてはどうだろうか。